一緒にいたい、の法則

今日はもう少し一緒にいたい
今夜は一緒にいたい
この言葉を使う男は総じて戦略性が皆無であると私は言いたい。

 

 


この言葉を使って敗退した男がいた。
仮に先輩野郎と称しよう。
会社の1年次上の先輩だったが、同時に大学の先輩でもあったので二重の意味で私はパイセンと呼んでいた。
何かと世話になっていたが、不思議なことに私の結婚中は特にイベントは発生せず、きれいな(というか当たり前の)先輩後輩の関係だけが続いていた。
しかし、私が離婚してからしばらく経って、彼の家庭生活がうまくいかなくなり始めた時期からやたらと私への接触が増え、あれよあれよという間にうっかりと何回か寝てしまった。
興味半分(いや、4/5だな)で寝てはみたものの小さいわ酒飲むと役立たずだわでまったく大したことなかったので、好奇心を満たしきった私としては早く切りたかったが、彼の離婚調停が泥沼化し、同タイミングで仕事も激務になる中、彼は安らぎ的なものを求めたのだろうか、次第に私への執着が強くなっていった。
安らぎを求める先として私はかなり不適合かと思うのだが、そこは持ち前の外面の良さを無駄に発揮し、甘やかしてあげた私が悪かった。この点だけは反省している。
やはり損切りのタイミングはきちんと見計らわないといけない。

 

 


そんな弱腰外交の私だったが、この先輩野郎をついに損切りできた夜のことは覚えている。
ある日、先輩野郎を含む社内のコミュニティ10人ほどで飲んだ後、彼が執拗に二人での二次会を求めるので、
「うち、今日めっちゃ汚いんで、絶対泊められませんからね」を5回唱えてから我が家の最寄り駅で終電がなくなるまで飲んだ。
たぶん彼は計算ずくで、これまでの私の弱腰外交であればそうは言ってもなし崩しに泊まれると思っていたのであろう。
飲み終わって、さっさと自分だけ帰ろうとする私に吐いたのが上記の言葉である。
「今夜はもう少しだけ一緒にいたいんだ」
「いや、今日はうちダメだって言いましたよね」
「それは聞いたけど・・・でも俺・・・やっぱり一緒にいたくて」
「やばいくらい汚いんですよ(これは本当)」
「俺気にしないよ」
「私が気にするんですよ」
「それでも俺、やっぱり一緒にいたいんだ」
「明日あるんで、もう帰りますね。駅に戻ればホテルありますよ」
「でも・・・」
「じゃ、おやすみなさい」
私だってやればできる。この後自宅で一人、祝杯を挙げた。
そしてこの夜以降、先輩野郎とは見事セフレ関係を断つことができた。

 

 


この時彼がもしこの軟弱なフレーズではなく、もっとダイレクトに「正直すごく良かったからもっかいやりたいんで泊めてくれない?」
くらいのことを言っていたら話は違っていたと思う。
これまでの実績を踏まえた相手への評価とリスペクト、そして彼の私へのニーズが的確に表現されている。
敢えて主語を広くするが、私を含むセフレになるような女は総じて自己肯定感がとても低いので、こういう分かりやすくダイレクトな褒めにとても弱いのだ。
かつ、矛盾しているが自身への評価に非常に敏感なのだ。
そしてここまでニーズがはっきりしてれば、部屋が汚かろうが私の評価は下がらないとわかる。
それなら、小さいし役立たず気味ではあるが(大事なことなのでもう一回言う)、ま、もう一回くらいいいかな、と、私はまたしても損切りのタイミングを逸したことであろう。
しかし「今夜はもう少し一緒にいたい」では何の評価もリスペクトも感じられない。
何が私に対するニーズかもわからない。正直なところ、だから何?である。
しかも一回使って効果の無かったフレーズを無駄に二回も使った。
これではクライアントも一気に興ざめである。
ターゲットの分析と分析結果に基づいた提案戦略立案の両面において全く失格であると言わざるを得ない。

 


もしセフレ未満へのアプローチに悩む男性がいたら、日本人らしい文学的なあいまい表現よりもダイレクトアプローチを心からお勧めする。
そもそも彼女じゃなくてセフレだからな、
君たちは恥じらいを美徳とする世界線にないんだよ、気づけよ。

 

 

 


そういえば彼は某社のエリート営業マンであった。こんなことであの会社は大丈夫だろうか。

花束男とフラワーイーターガベッジボックス

私は花束が好きではない。

女子へのプレゼントとして重宝するので、
花屋で売っている2000円の出来合いの花束は便利に使うが、その程度。
自分で買って家に飾ったことはない。枯れるし世話が面倒だし。
結婚祝いにもらったイッタラの花瓶は段ボールにしまわれたっきり、もう何年も眠りについている。


花束といえば思い出す男がいる。
社会人前半でおままごとのように付き合っていた5歳上の男性がいて、まぁ、もちろん既婚だったのだが、彼はことあるごとに花をくれる人だった。
会社帰りに待ち合わせして、ご飯食べて、花束をくれて、恵比寿のホテルに行って、帰宅というゴールデンコースを何度経験したかわからない。
今となってはそんな夜遅くなるコースは次の日の仕事に影響がでるので絶対やらないが、若さとはすばらしい。何回戦致そうとも何ともなかった。
そして私は恵比寿の5軒程度しかないラブホテルの混雑状況に異様に詳しくなった。

 


しかし、誕生日でも記念日(そんなものはそもそもなかったが)でも何でもないのに花束をくれるというのは一体どう心境だったのか、当時から不思議に思っていた。
それまでそういうイベント日でも花束をくれる男と懇ろになることがなかったということもあり、疑問を通り越し若干不気味さまで感じるようになったころ、さすがに意図を聞いてみたことがあった。

 

我、「どうして花束なんてくれるんですか?きゅるん☆」
花束男いわく、「いや、あげたくなって」
花束男いわく、「いや、花屋でたまたま見つけたから」
花束男いわく、「いや、花束って素敵じゃない?」

 

その答えになっていない回答に対して、
の悪い私は曖昧に笑うことしかできなかった。


今思えば素直に言えばよかった。
「邪魔なんでほんと要らないです」、と。
何せ、私だって既婚だったのだ。
理由もなく妻が花束を持って帰ってきたら夫に怪しまれると思わないのか。
一回だけなら何らか言い訳はつく。
あまりにも回数が多い。言い訳のネタもとっくに枯れた。

 

普通に考えたら気づくだろう。が、花束男はそういう意味では普通でない奴だった。
おそらく花束男の会社から待ち合わせの恵比寿までの間に、青山フラワーマーケットでもあったのだろう。
ピコーン!おれ、いいこと思いついた!ジョシハナタバスキ!みたいな。
お前のニューロンシナプスの繋がりを全部断ち切って繋ぎなおしてやろうか、と言えなかった当時のへたれな私。
うわーうれしーきれいーかわいいーと、頭の悪さを全面に出したお礼を言って、全てありがたく受け取っていた。
ガーベラが多かったのはなんとなく覚えている。
安い割に派手に見えるもんな、ガーベラ。

 

 

 

そしてその花束軍団はどうなったか。
答えはJRの某駅の改札内のごみ箱だけが知っている。